ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

野菜編(2)の概要

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 ページID:0043288 更新日:2022年3月24日

野菜編(2)の概要  

野菜編(2)

 果菜類の品種改良に焦点をあてトマト、スイカ、イチゴの細密画から当時の府立農事試験場の試験研究を探ります。品種改良が本格的に始まったのは大正13(1924)年です。根菜や茎葉菜類も含め11品目について味や収量性、耐病性などの向上を目的に新しい品種が育成されました。

 東京府における大正後期から昭和初期にかけてのトマトの生産事情をみると、主産地は荏原郡で昭和期に入ってから著しく需要が増加し将来有望な作物でした。当時、国産品種はなく外国品種が全盛の状況でした。スイカは豊多摩郡ほか、北多摩や北豊島郡などで栽培され、品種の大部分は外国品種「アイスクリーム」が主流でしたが、昭和初期頃に奈良県発祥の「大和(やまと)」が出ると、またたく間に「大和」にとって代わりました。イチゴの品種も外国品種が全盛のなか唯一「福羽苺(ふくばいちご)」が国産品種として栽培されていましたが、イチゴの作付面積はそれほど大きくはありませんでした。

 今回ご紹介する細密画は品種改良に使われたトマト、スイカ、イチゴの一部です。トマトの細密画は45品種32点、スイカは8品種12点、イチゴは33品種17点が残されています。

品種改良の試験は、トマトでは日本人の食習慣に合わせた甘みの強い新品種として「東農一号(とうのういちごう)」と「東農二号(とうのうにごう)」が、昭和9(1934)年より8年の年月をかけて昭和16(1941)年に府立農事試験場で育成されました。明治37(1904)年の品種比較試験から40年近くを経た昭和17(1942)年には府立農事試験場の育成品種も含め国産品種もみられるようになり、その間90品種程度の外国品種が試験されました。東京府立農事試験場で行われた特別報告会の資料には、労力不足、物資の乏しき時代に、新品種の発表をできるのは力強い限りであると記されています。

スイカの新品種「多摩川(たまがわ)」は、大正13(1924)年より始め昭和4(1929)年に育成されました。東京都農業試験場60年史によれば、「アイスクリーム」はあまりに大形で味も薄いので、家庭用として小形で味も高尚のものを作出する目的で「多摩川」を育成したが、「大和」が突然現れてその影は次第に薄れていったと記されています。時間と労力をかけて育成した品種であっても良品にとって代わる、今も昔も変わらない厳しい品種開発競争の一幕でした。この「多摩川」には、「東農二号」と同じくもう1系統あり、一号と二号と呼ばれていました。二号は一号に比べて顆皮の色は濃くて肉色も赤色がやや濃いものでした。

イチゴの新品種「昭和(しょうわ)」は、大正13(1924)年に始まり昭和3(1928)年に育成され、当時国産の主要品種である「福羽苺」と同じく「ゼネラルサンジー」の血を引くものでした。品種本位蔬菜園芸圖編によれば、果実の肉質は柔軟で汁液は多く味わい良好、断面と外部は微紅色を帯びているが内部は白色を呈していると解説されています。

引用・参考資料

・東京府立農事試験場.業務功程:大正13から14年度まで.

・東京府.東京府の産業(農業)其一園芸.昭和4年.p.60-62,67-69.

・東京府立農事試験場.特別報告第5回研究發表曾に於ける試験及調査報告.昭和17年3月.

・東京都農業試験場.東京都農業試験場60年史.昭和34年.p50-52.

・東京府農事試験場.新種多摩川西瓜に就いて.園芸之友.昭和5年2月号.p109-110.

・篠原捨喜・富樫常治共著. 品種本位蔬菜園芸圖編.養賢堂.昭和27年第2版.p.599-600.

Adobe Reader<外部リンク>

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)