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布地に描かれた成績図の概要

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 ページID:0057951 更新日:2022年9月27日

特集(1)ボタン70%

布地に描かれた成績図 ~大正初めの魅力ある成績ポスター~

 

【要約】東京府立農事試験場は、試験成績を府内の農業関係者に向けてイベントなどを通して発表していました。成績は品種の重量や個数などの収量データと、品種の特徴が捉えられた実物大の彩色画を交えた70×100cm大の布地に描かれたポスターになっていました。それは農業関係者が理解しやすく注目を惹くものでした。

 

 農事試験場は、年度ごとにまとめた試験成績を農事試験成績略報や業務功程*(ぎょうむこうてい)、あるいは作物病害虫の栞などとして東京府農会などの府内農業団体や農業者のほかに国および他県の農事試験場等に配付していました。また、これら資料の配付とは別に試験成績を実物大の農作物の彩色画を交えたわかりやすい成績図にして農業関係者に向けた成果発表も行っていました。

 

*試験成績のほかに印刷物や種苗配付数など業務管理を含めた記録をする形式になり、タイトルが農事試験成績略報から業務功程に変えられた。

 

 明治45(1912)年12月発行の日本園芸雑誌によれば、明治45年11月1日より7日間、一府五県連合の園芸共進会が東京市芝公園勧業場内(現在の芝公園)で開かれました。参加した府県は東京と神奈川、茨城、埼玉、静岡、千葉でした。果実、野菜、植木の他に農業機械などが出品され総出品数は11,199点で、数千から数万人の来場者がありました。このほかに他県からの名産農作物など、また農務省および各地の試験場から参考品が出品されました。府立農事試験場は、園芸試験成績図、野菜、果実、花き等の写生画、写真、病害虫の標本およびバナナ、熱帯植物の植込み、軽便な温室と附属花壇等を出品したとあります。写生画は現在公開中の細密画のことです。園芸試験成績図は布地に描かれた成績図のことで、22点が残されています。

 特集(1)でご紹介するものは、菘菜(あおな)良種、蕃茄(ばんか)(トマトのこと)良種、甘藷(かんしょ)(サツマイモのこと)良種、瓜哇薯(じゃがたらいも)(ジャガイモのこと)種薯比較試験、除蘖摘心(じょけいてきしん)法試験の5点です。

 

〈菘菜(あおな)良種〉の成績図(黒枠縦横70×100cm)

 菘菜は漬菜(つけな)とも呼ばれ明治から大正前期までほとんど漬物として消費されていました。図1は、農事試験場が優良品種として選定した菘菜7品種の収量比較を示した成績図です。この図は、縦横70×100cmの黒枠の中に7品種の収量データとそれぞれの菘菜が実物の大きさで布地に描かれていています。結球しないものと結球するものから成り、「結球山東菜(けっきゅうさんとうさい)」と「開城白菜(かいじょうはくさい)」は結球し、「曲金菜(まがりかねな)」、「山東菜(さんとうさい)」、「体菜(たいさい)」、「唐人菜(からひとな)」は結球しない、「直隷白菜(ちょくれいはくさい)」は中間の菘菜に分けられます。菘菜の各品種は、その特徴が良く捉えられ、「曲金菜」は、7品種中最も大きく長径が約55cm、最も小さい「開城白菜」の長径は約36cmです。くびれを特徴とする「体菜」は一目瞭然です。一反歩(10aあたり)平均収量の一番多い「曲金菜」は9カ年平均で1,417貫とあります。現在の単位で5,313kgです。一番少ない「開城白菜」は6カ年平均で987貫(3,701kg)です。ここに示された収量の元データは農事試験成績略報に記載されているもので、明治36(1903)年から明治44(1911)年までの試験成績です。

菘菜良種

図1 菘菜(あおな)良種

 

〈蕃茄(ばんか)良種〉の成績図(黒枠縦横70×100cm)

 野菜編(2)では、トマトの果実が描かれた細密画を紹介しました。図2のトマトは果実の形状や色のほかに着生状態も良く捉えられ、10aあたりの果実収量とその数量が示された成績図となっています。農業関係者はこの1枚 の図からトマト品種の選択に必要な多くの情報が得られます。この成績の基になる試験は、トマトの各種類を栽培してその生育、収量品質の良否を調べ府内に適する品種を選定することを目的としています。試験は、明治40(1907)年より行われたもので、3カ年の収量平均値が示されています。元データには、6品種以外に個数および重量の多い品種がありました。最終的には形状や収量と品質などの総合判断からこれら6品種が選ばれました。「ポンテローザ」の収量は、10aあたり果実重量1,066貫(3,997kg)、果実個数36,300個でした。一方、「ポンテローザ」に比べてサイズの小さい「アーリーマーケット」の果実個数は「ポンテローザ」の2倍以上あり、果実重量はほとんど変わらず4,166kgです。明治後期の当時はトマト栽培の事例は少なかったと推察され、果実の着生状態まで示された当成績図は農業関係者にとって貴重な情報であったと考えられます。

蕃茄良種

図2 蕃茄(ばんか)良種

 

〈甘藷(かんしょ)良種〉の成績図(黒枠縦横70×100cm)

 サツマイモはコメ、ムギに次ぐ主要な農作物でした。図3は明治34(1901)年から43(1910)年までの10年間のサツマイモ平均収量がまとめられたものです。府内の農地に適するサツマイモ5品種は、上から「琉球(りゅうきゅう)」、「鹿児島(かごしま)」、「四十日(読み仮名不詳)」、「シカゴ」、「川越(かわごえ)」です。10aあたりの収量は、それぞれ現在の単位で2,696kg、2,455kg、2,107kg、1,541kg、1,387kgです。この10年間で10品種以上の収量が比較された中でのベスト5と言うことです。藷の大きさと形状、色あいのほかに葉の形態的特徴も示されたサツマイモの優良品種の紹介です。

甘藷良種

図3 甘藷(甘藷)良種

 

〈瓜哇薯種薯(じゃがたらいもたねいも)比較試験〉の成績図(黒枠縦横100×70cm)

 ジャガイモは、明治後期にはコメ、ムギ、サツマイモについで常食にする重要な農作物でした。図4は大薯を種薯にした場合の収量が一番多く、大薯を半分にした場合と中薯がほぼ同じ収量、小薯と中薯の半分を種薯にした場合がほぼ同じ関係であることが示されています。この試験に使われたジャガイモは「アーリーローズ」で、種薯の重さは示されていませんが、右端の大薯は長径が12cm程度なので100gを超えるジャガイモです。左端の小薯がその半分の50g程度で、中央の中薯が75g程度です。種薯が大きいほど、言換えると貯蔵養分量が多いほど収量は多く、また薯の個数と大きさも大きくなることが示されています。種薯を丸ごと植え付けるか、それとも半分に切りわけて植付けるか農業関係者の判断基準になる重要な情報だったと言えます。明治39(1906)年から43(1910)年までの5カ年の平均収量がまとめられたものです。

瓜哇薯種薯比較試験

図4 瓜哇薯(じゃがたらいも)種薯比較試験

 

〈除蘖摘心(じょけいてきしん)法試験〉の成績図 (黒枠縦横100×70cm)

 図5はジャガイモの発芽後に芽1本を残して生育途中で摘心をすると、茎葉の生育が止められて地下部の生育が促進され、薯のサイズは一番大きく収量も多くなることが示されています。10aあたり収量は588貫(2,205kg)です。この試験に使ったジャガイモも瓜哇薯種薯比較試験と同じく「アーリーローズ」で、明治39年から43年までの5カ年の平均収量がまとめられたものです。

除茎摘心法試験

図5 除蘖摘心(じょけいてきしん)法試験

 

 これらジャガイモの成績図では、種薯からの発芽と子薯の着生状態を見ることができます。普段見ることのない地下部の様子が描写され、農業関係者はこれら2枚の成績図からジャガイモの栽培に必要な多くの情報を得ていたと考えられます。また、明治後期のジャガイモの試験成績から、ジャガイモ栽培の基本的なことが、今から100年以上前の大正初めには既に明らかにされていたことがわかります。

 この様に成績図を布地に描き記したポスターにしたのは、農業技術の普及・指導はイベント会場での指示のほか、農業者への現場での講習などにも使用するため、耐久性があって持運び易いことが必要であったからでしょう。

 

引用・参考資料

・鈴木生.瓜哇薯に関する二三の試験成績.日本園芸雑誌.明治43年4月号.p33-34.

・東園.一府五県聯合園芸共進会所見.日本園芸雑誌.明治45年12月号.p58-61.

・東京府立農事試験場.農事試験成績略報:第拾参.

・東京府立農事試験場.業務功程:大正2年度.

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