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花き編(1)の概要

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 ページID:0058114 更新日:2023年1月1日

花き編(1)ボタン 

花き編(1)

 府立農事試験場では花きに関する試験研究が明治34(1901)年に始められ、フロックスほかジニア、グラジオラス、ムギワラギクの栽培試験が行われました。その後昭和16(1941)年までの間に300種以上の花きが栽培され、主に切花としての適性が試験されました。

 東京の産業其一(農業)によれば、大正後期頃の花き栽培の面積をみると、露地が見積もり200町歩(200万ヘイホウメートル)、ガラス温室が14,000坪(4万6千ヘイホウメートル)でした。年産出額は露地60万円、ガラス温室40万円で総計100万円に及ぶとあります。荏原郡は、花き栽培の盛んな地域でガラス温室の面積が一番大きく、豊多摩郡、南葛飾郡が続きました。花きは仏花や生花用の切花需要が多く、農業者にとっての重要な栽培品目はキク、エゾギク、ダリヤ、カンナ、グラジオラス、チューリップ、ジニア、ガーベラ、カーネーション、バラ、シャクヤク、キンセンカ、ヤグルマソウ、ハナショウブ、ユリなどとあります。これら品目の中でユリは、明治後期から大正期では復活祭に使われる欧米輸出向けの花きとしても重要でした。中でも「黒軸鉄砲百合(クロジクテッポウユリ)」は6寸球(周囲18cm球根)サイズの価格は大正8(1919)年では1球2銭、周囲21cm球根で3銭になるので、副業としての収入源になる花きでした。

 農総研には花きの細密画が98品目282点残されています。ここで紹介する細密画はそれらのうちの一部です。

 明治41(1908)年より本格的に露地の切花収益試験が始められ、大正6(1917)年まで行われました。その間125種の花きが収益性のほかに開花日などの特性も明らかにするための試験が行われました。収益性に関する最初の試験は、明治42(1909)年から大正2(1913)年までの5カ年の平均では、トップ3はガイラルディア、ダリヤ、カンナでした。温室を使った試験が、大正4(1915)年より始められ、昭和前期までの間に促成栽培や抑制栽培の試験が行われました。促成試験ではフリージャ、チューリップ、スイセンなどを対象に、抑制試験ではグラジオラスの秋の彼岸採りのための試験が行われました。促成試験に短日処理を組み合わせる試験も行われ、切花ポインセチアの冬期出荷技術が確立されました。大正5(1916)年には輸出観賞向けの植物として31種225品種が集められ試験栽培も行われました。中心となる植物は花木でヒバ、フジ、マツ、サザンカ、ツバキ、ナンテン、サツキ、カエデ、ツツジなどの品種が取扱われました。その後は昭和11(1936)年まで多くの花きについて試作や新種の蒐集(しゅうしゅう)などが継続して行われました。​

引用・参考資料

​・谷口新吉.輸出植物栽培(二).園芸之友.大正7年8月号.p50.

・谷口新吉.輸出植物(花百合).園芸之友.大正8年8月号.p39.

・東京府.東京府の産業(農業)其一園芸.昭和4年. p89-105.

・東京府立農事試験場.農事試験成績略報:第二・拾五・十六.

・東京府立農事試験場.業務功程:大正3・5年度.

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