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野菜編(6)の概要

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 ページID:0068074 更新日:2023年7月1日

野菜編(6)

野菜編(6)

 果菜類のカボチャ、シロウリ、マクワウリの細密画から当時の府立農事試験場の試験研究を探ります。これら果菜はそれぞれ煮食、漬物、果物として消費される農作物として、主に収量に関する品種比較試験が明治37(1904)年頃より始められました。

 東京府における大正後期から昭和初期にかけてのカボチャの生産事情をみると、カボチャの栽培面積が最も大きい地域は北豊島、荏原郡で、豊多摩、北多摩郡が続き、「居木橋(いるきばし)南瓜」の縮緬(ちりめん)種と「内藤南瓜」の菊座(きくざ)種が栽培されていました。シロウリは豊多摩、北豊島、南葛飾郡の栽培面積が大きく、奈良漬用の品種「大越瓜(おおしろうり)」と「早生青(わせあお)越瓜」が栽培されていました。その中で南葛飾郡では切縞(きりしま)*1(キリシマ)種と丸葉(まるば)種*2の栽培面積が増加する傾向にありました。マクワウリは、豊多摩、南葛飾郡の栽培面積が大きく、品種は「金甜瓜(きんまくわうり)」と「銀甜瓜」が主流でしたが、「黄棗(きなつめ)瓜」が増加傾向にありました。そのほか一部地域では「成子(なるこ)(鳴子(なるこ))甜瓜」が栽培されていました。*:異品種間で自然交雑したカボチャの中には外皮模様が縮緬ではない、あるいは底面が菊座形をていしていない派生種があった。*1:果の外皮が切り込み状の縞(キリシマ)模様を呈するものと思われる。*2:品種の中には葉形が丸葉(丸葉種)や切れ葉(切葉種)であるものがあった。

 今回ご紹介する細密画はカボチャ、シロウリ、マクワウリの一部です。カボチャの細密画は5品種7点、シロウリは6品種(あるいは派生種)4点、マクワウリは5品種4点が残されています。

 明治37(1904)年より昭和19(1944)までの40年間にわたりカボチャの品種比較試験が行われました。その間に扱われた品種(あるいは派生種)数は48で、大正中期まで日本在来種の「内藤南瓜」や「居木橋南瓜」などが試験栽培の中心でしたが、昭和期に入ってからは「雑司ヶ谷(ぞうしがや)南瓜」や「鹿々谷(ししがたに)南瓜」などのほかに西洋種の「デリシャス」や「甘栗(あまくり)南瓜」に試験の中心は移りました。

 シロウリの試験栽培は第二分場(南葛飾郡金町柴又photobook.pdf (tokyo-aff.or.jp)<外部リンク>)において行われ、明治36(1903)年から大正8(1919)年まで「大越瓜」や「早生越瓜」、キリシマ種など17の品種(あるいは派生種)について比較試験が行われました。奈良漬用のシロウリは「大越瓜」と呼ばれる大型のものが主流だったようで、細密画にある奈良漬用越瓜の長径を計測すると38cmもあります。

 同じく第二分場ではマクワウリの試験栽培も行われ、大正中期までに14の品種について比較試験が行われました。明治後期では「金甜瓜」、「銀甜瓜」のほに「梨子(なし)甜瓜」「鳴子甜瓜」が試験の中心でしたが大正中期より試験品種は「金甜瓜」のほかに「黄棗瓜」や「天津」に移りました。品種比較試験のほかに、大正13(1925)年には「金甜瓜」と「黄棗瓜」にマスクメロンを交配する品種改良試験が始められましたが、固定化が難しく品種改良には至らなかったようです。また、カボチャについても「内藤南瓜」の改良試験が明治後期より行われましたが、目覚ましい成果は上がらなかったようです。そうした中で受粉不良による果実の生育不良を避ける花粉媒助(人工授粉)試験が明治37年に行われました。その有効性は個数も重量も増収となることで確認されました(写真1)。

写真1 南瓜花粉媒助試験

写真1 南瓜花粉媒助試験:右は花粉媒助区、左は花粉不媒助区(農事試験成績略報第九より抜粋)

引用・参考資料

・東京府.東京府の産業(農業)其一園芸.東京府.昭和4年.p51-57.

・篠原捨喜・富樫常治共著.蔬菜園芸図編.養賢堂.昭和27年.p280.

・大和陽一.農業技術大系.野菜編.2007年.第5巻.基+126の3.

・東京府立農事試験場.農事試験場成績略報:第六から第拾五まで.

・東京府立農事試験場.業務功程:大正3から昭和13年度まで.

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