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緑肥ルーピンと根粒菌:昭和前期の自給肥料研究の概要

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 ページID:0079960 更新日:2024年1月1日

ルーピンの根粒形成

緑肥ルーピンと根粒菌:昭和前期の自給肥料研究

 今回が最終となります。最終回では、これまで取上げてきた栽培や育種、病害に関する内容とは異なり、化学部※が取組んだ内容をご紹介いたします。

※昭和前期の府立農事試験場の試験研究組織は、農作物の栽培や育種の試験研究を業務とする作物および園芸部、病虫害の対策を試験研究の業務とする病虫部、土壌の分析や施肥法の試験研究を業務とする化学部、農器具や農業機械の使用法などの試験研究を業務とする農具部の5部門から構成されています。

 農水省は、昭和10年度に緑肥根粒菌の培養配付のため各府県に助成金を交付し、緑肥根粒菌の無償配布を行うことを決定しました。府立農事試験場の化学部では昭和10年度より新規事業として培養室を設置し、ルーピン根粒菌を主として緑肥全般について根粒菌の農業者に対する無償配付が実施されました。この事業に先立ち試験場では、昭和8年度よりルーピンの根粒菌培養と緑肥効果に関する試験研究が始められ、培養菌を接種する方法が研究されました。その結果、種子に付着させる有効な接種方法が開発されて広く緑肥栽培が展開されることとなりました。ルーピンの培養根粒菌の無償配付は昭和10年度から17年度まで行われました。根粒菌は、培養瓶のかたちで毎年平均8,300本配布されました。また、ルーピンの根粒菌接種効果および緑肥の知識などの栞が数千部配布され、ルーピンなどの緑肥の栽培を農業者に対して大々的に普及する活動が行われました。

 このように根粒菌の無償配付が府立農事試験場で大々的に実施されたことには理由がありました。昭和前期の農家の肥料消費額は大きく、そのことが農業経営を圧迫させる一因となっていました。肥料は、大豆粕や魚粕、硫酸アンモニアやリン酸などの販売肥料と農家が自ら作る堆肥や緑肥の自給肥料でした。昭和8年度の全国的なそれらの平均消費額は、自給肥料が10aあたり4円に対して販売肥料は3円でした。それに対して、東京府では自給肥料が3円、販売肥料は6円で販売肥料の消費額が自給肥料の2倍の状況で、販売肥料の消費額が今後さらに大きくなる傾向にありました。このような背景のなかで、東京府は自給肥料の利用を促し農業経営を改善させたい狙いがありました。そこで自給肥料の中でも生産しやすい緑肥に注目して自家採種が容易にできるルーピンの利用が進められ、あわせて緑肥収量に大きく影響する根粒菌の試験研究が行われました。

 ルーピンと根粒菌に関する細密画を1点ご紹介します。青花、黄花、白花ルーピンの根粒形成が描かれています(図1)。日本在来の黄花種のほかに外国産の青花と白花種について、根粒菌を接種した効果を比較したものです。図左には連作の(ルーピンを連作した場合の)根と初作の(初めてルーピンを栽培した場合の)根を比較しています。根粒菌接種の効果に加え、連作することによっても土壌に生息する根粒菌が増殖する効果のため根粒形成が多くなることを示しています。

ルーピンの根粒形成

図1 黄花、青花、白花ルーピンの根粒形成

〈マメ知識〉

マメ科植物による窒素固定

 マメ科植物は、根に共生する根粒菌の働きで、大気中の窒素ガスをアンモニアに変換し、養分として利用することができます。マメ科植物に取込まれた窒素は、そのすき込み後、土壌中で分解されますが、その多くは、もとの窒素ガスにまで分解されるのではなく、アンモニアや硝酸に変わることから、それを窒素源として、次の作物を栽培することが可能となります。そこで、マメ科緑肥のあとでは、窒素の減肥栽培ができます。(農業技術大系.土壌施肥編.第5-1巻.p27-29一部改編)​

 

【細密画紹介シリーズ編集後記】

 所蔵されている細密画のほとんどは府立農事試験場で栽培試験されていた野菜、果実、花きのほかに東京府種畜場で飼育試験されていたウシとニワトリが描かれたものです。その総数900点に及び、それらの一部を試験研究記録と当時の農業生産事情とあわせて、農総研だよりの特別号と「細密画から昔の研究を知る」の中で12回にわたり紹介してきました。

 これら細密画は、現在では、農業研究の遺産としても重要なものであるとシリーズを通して強く感じました。最終号でご紹介したルーピンに形成された根粒やサツマイモ黒斑病(特集2)、アスパラガスの根株から収穫物に至るまで(野菜編5)は、農業関係者にわかりやすく伝えることを意識したものです。また、所蔵品の中には明治後期から大正前期に広く栽培された「三河島菜」や「曲金菜」、農事試験場育成のトマト品種「東農二号」やスイカ品種「多摩川1号」などは絶滅した品種で、今ではその形状や断面構造、色合いは全くわかりません。

 作者と写生年月日が、絵画作品では記されますが、当センター所蔵の細密画にはその情報が残されていません。作者が判明している細密画は水島南平のみです。試験成績略報と業務功程に記録された品種の変遷から写生年がわかったものがありました。また、サインと落款、写生年(月日)および職員名簿、そのほかに美術協会情報から推定できたものもありました。園芸之友や日本園芸雑誌など当時流通していた農業雑誌に掲載された記事から推定できたものもありました。推定作業の過程では、それらの情報以外に思いもよらない掘出し情報もありました。資料を整理している中で見つけたメモには水島南平作のスイレンNo.14の品種名が、著名なスイレン育種家フランス人Marliac作の一つである「Newton」(最新園芸大辞典.第5巻.誠文堂新光社.昭和46年7月第2版.p2709.)であることが記載されていました。まだまだ未整理の資料があるので、新たな新情報が得られる可能性があります。これらについては、関係機関と協力して今後明らかにできればと考えています。

 明治後期から昭和前期の間に描かれた900点に及ぶ細密画は、100年以上にわたり研究員の手によって整理し保管されてきました。その間の研究員の地道な努力を称え最後のまとめにしたいと思います。

編集者 研究企画室 南 晴文

引用・参考資料

・東京府立農事試験場.業務功程:昭和8・9年度.

・東京府立農事試験場.本府における「ルーピン」の成績第二報.昭和8年.

・東京府立農事試験場.本府における「ルーピン」の成績第三報.昭和9年.

・東京府立農事試験場.東京府農会報.荳科植物の根瘤菌と接種の方法.昭和10年10月號.         

p1-2.

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